短距離走を専門としている男子陸上競技選手の守祐陽さん。レース後半まで速いスピードを維持できる走力を武器とし、数々の大会に出場しています。2025年8月に出場した100メートル予選では学生歴代2位、日本歴代5位タイとなる10秒00を記録。快挙を成し遂げたことによって世界陸上選手権に初出場しました。そこで今回は短距離界の新星といわれ大きな期待を寄せられている守祐介陽さんの出身高校や経歴を解説します。
守祐陽さんの経歴
出典元:TBS陸上チャンネル【公式】
守祐陽さんは2003年12月14日生まれ千葉県白井市出身です。4歳頃にサッカーを始め、小学6年生まで続けていました。しかし所属チームが試合に負けてばかりだったため、複雑な感情を抱いていたようです。「周囲に勝敗を左右されてしまう団体競技よりも1人で集中する個人競技のほうが自分に向いている」と考えるようになりました。元々、走力に自信を持っていたため白井市立七次台中学校に入学してからは陸上部に入部。ここから陸上人生が始まったのです。
中学3年生の時に全国大会出場
陸上部に入った守祐陽さんは努力すればするほど短距離走のタイムが縮まる喜びを知り、無我夢中で練習に取り組みました。幼い頃にサッカーを通じて鍛えた瞬発力と体幹も役に立ったのではないでしょうか。中学3年生の時には得意としていなかった200メートル走で好タイムを記録し、夏季に開催された全国大会に出場。この時、会場を訪れていた市立船橋高校陸上部の顧問・後藤彰英さんは守祐陽さんに興味を持ち、高校の練習に招待しました。
高校の練習に参加
市立船橋高校陸上部といえば県の高校総体で何度も優勝している強豪チームです。部員個々が全国トップを目指して自己研鑽に励んでいます。練習に参加した守祐陽さんは中学生ながらに市立船橋高校陸上部の雰囲気に好感を抱き、同校を第一志望校に選択。文武両道を実践したいと思い、普通科を受験しました。
守祐陽の高校はどこ?
守祐陽さんは無事に受験に合格し、市立船橋高校に進学。もちろん陸上部に入り、100メートル走と200メートル走を専門とする選手として本格的に練習を開始しました。入部直後はスタート時の加速を苦手としていたものの監督の徹底した指導によって徐々に克服。少しずつ理想の走りに近づいていきました。しかし高校2年生の時には新型コロナウイルスの感染拡大に伴って十分に練習を積めませんでした。けれども限られた時間と環境の中でトレーニングを続け、高校3年生の時に出場した県大会100メートル走で全国の高校生の中で最速の記録を出しました。
監督の愛ある指導
一躍、高校陸上競技の世界で注目される存在となった守祐陽さん。ランキングのトップに自身の名前が載ったことで冷静さを欠いてしまい、南関東大会の200メートル走では本来の実力を発揮できませんでした。監督は守祐陽さんが中途半端な気持ちでレースに臨んでいたことに気づき、「真のチャンピオンになりたいのならば自分だけに集中しろ」と厳しい口調で指導。その言葉によって守祐陽さんは我に返り、どれだけ周囲から称賛されても自分の状況に意識を強く向けるようになりました。
大学陸上競技部の練習に参加
高校時代の守祐陽さんは監督の指導と厳しい鍛錬によってメンタル面が成長したものの、同期の短距離走選手の陰に隠れていました。しかし大東文化大学陸上競技部の監督・佐藤真太郎さんは守祐陽さんの非凡な才能をいち早く察知し、インターハイで彼に接触。白石黄良々さんや多田修平さんなど日本のトップ選手が参加するハイレベルな練習に招待しました。守祐陽さんは練習を通じて自分に絶対にプラスになる環境だと確信し、いっさい迷わずに大東文化大学への進学を決めたようです。
大学で急成長
大東文化大学陸上競技部に入ってからは国内外で強敵としのぎを削るトップアスリートや社会人と一緒に練習。類まれな才能を持つライバルが身近に居ることで常日頃から切磋琢磨し、自身の走力とスピードの向上につながっているのではないでしょうか。また高校まで陸上競技に打ち込んでいたため社会を勉強したいと思い、コーヒーショップ・タリーズ東松山店でアルバイトを開始。店長が競技スケジュールを考慮してシフトを組み、守祐陽さんをサポートしているそうです。
守祐陽の家族構成
2026年1月時点(現在)確認されている守祐陽さんの家族は両親のみ。兄弟姉妹の有無は不明です。本人が家族に関してほとんど口にしていないため年齢や職業などの詳しい情報が分かりませんが、父親は過去にサッカーをプレイしていたスポーツマンです。その影響で守祐陽さんが自然とサッカーを始めたのだとか。息子が父親のようになりたいと思い憧れるような素敵な人物なのでしょう。
母親はどんな人?
母親は守祐陽さんが中学生の頃に悪性腫瘍の発症が判明。抗がん剤治療などによって苦痛を感じながら生活していたはずですが、守祐陽さんがレースで良い記録を出すと歓喜していたそうです。「インターハイに出場してね」と声をかけて生きる希望を見失っていなかったものの、守祐陽さんが高校1年生の頃に急逝しました。その後、守祐陽さんは母親が天国から見てくれていると思いながら練習やレースに臨み、スプリンターの頭角を現しています。
母方の叔父
尾崎雅久さんは1967年生まれ、守祐陽さんの叔父であり母親の弟です。大阪芸術大学在学中に劇団に入り、制作サイドとして演劇のノウハウを学んでいました。劇団を脱退した後、会社に勤務しながらフリーで演劇制作にたずさわる二重生活を10年ほど経験。32歳の頃に起業して以降は映像の制作や劇団のコンサルタントなど演劇を中心に幅広く業務を手がけています。甥っ子である守祐陽さんが世界陸上選手権に出場した際には「叔父も観戦しているよ」といったコメントをSNSに投稿していました。
まとめ
守祐陽さんは陸上競技を始めた時期が遅かったものの、市立船橋高校陸上部の顧問である後藤彰英さんをはじめ、人との出会いに恵まれて短距離走選手として成長しました。もちろん本人も並々ならぬ思いを持って過酷な練習に耐え抜き、努力を怠りませんでした。その結果、大東文化大学に進学してからは同期の井上直紀さんや栁田大輝さんを脅かすほどの才能を開花させています。日の丸を背負って世界で活躍する守祐陽さんの姿に多くの人が感動しているのではないでしょうか。
